【公式】あばれ祭公式サイト | 石川県能登町宇出津

あばれ祭とは

about

かつて、宇出津の町には
悪病が蔓延し、
人々を苦しめていた。

約350年前の寛文年間(1661~1672)当地に悪病が流行したため、京都の祇園社から牛頭天王を勧請。盛大な祭礼を始めたところ、神霊と化した青蜂が悪疫病者を救った。
喜んだ地元の人々はキリコをかついで八坂神社へ詣でたのがあばれ祭の始まりとされる。現在では高さ七メートル、約40数本の奉燈(キリコ)が町をねり歩き、2基の神興を海や川、火の中に投げ込んであばれる男壮な海の祭典として知られている。

キリコ

kiriko

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キリコは、能登地方の夏から秋にかけて行われる祭で使用される大きな灯ろう型の行灯だ。神輿渡御の際に道案内として用いられる灯りとされている。

かつて宇出津では、10メートルを超えるキリコ20数本が巡行していた。大正10年に、町中に電線が張られ、巡行できなくなり、七尾市石崎町の漁師に引き渡され、奉燈(ほうとう)と呼ばれるようになった。

大松明(オオタイマツ)

いやさか広場にある5本の柱松明(ハシラタイマツ)と3基の置松明(オキタイマツ)は、古来より炎の明かりが神さまを迎える神聖な供え物とされており、その火の粉をキリコが乱舞し回り、浴びることで御利益があるとされ、少しでも近づき、より多く回りたいと願うようになった。

神輿

mikoshi

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八坂神社の祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)、通称牛頭天王だ。天照大神の弟神であり、古事記や日本書紀などにおいても荒々しい勇ましい神として描かれている。その祭神が遷座された神輿を海の中や川の中、火の中に投げ込み、叩いたり、壊したりするなど大暴れが行われる。これによって、神輿の興奮が神さまを呼び寄せ、人々は神さまに近づくことができると信じられている。また、この行為が神さまにとっても喜ばしいものとされている。

梶川

2基の神輿は、酒垂神社と白山神社のそれぞれの氏子町内を巡り、町中の厄を集めてきた。あばれ神輿はいよいよ八坂神社の参道ともなる岩屋町へと入っていく。その前に、梶川橋の上から神輿を投げ入れ、その観衆の厄までも受け入れるべく、川中をなんども行き来し渡御する。

カンノジ松明

参道を進み、いよいよ近くなった八坂神社境内に入る直前、梶川の上流に設置された柱松明のある清流に、神輿は投げ入れられる。神社へ入る最後の禊ぎとして、カンノジ川に神輿を投げ入れ、松明から落ちる火の粉を浴び、清流に身を清める。この禊ぎを経て、境内へと向かうことになる。

入宮

あばれ神輿の最後の荒行、二日間にわたって町中を渡御した神さまが、すべての災いを境内の火の中で焼き祓い、社殿にお還りになられるとされている。担ぎ手にとっても最後の正念場であり、見せ場でもある。あばれ方が足らないと、社殿の中で神さまがあばれ、災いがおきるとも伝えられている。